録音後記
▼冒頭で話したツイート
MECEと言うけれども、表現をするための事象の言語化とは、言い換えると「抽象化」の操作である。
抽象化とは、具体の細部を意図的にモレこぼすことにより実現する単純化である。
よって、MECEにブレイクダウンする行為は、「モレ」を発生させることと同義である。
下記連ツイの意識高い系とそれに対する批判もそうだけど、マトリックスの世界のルール(下記例の場合は「結果」や「成果」)の中で考えるから、その枠組みから発生する心理的ストレスに苛まれる。
ルールが、ゲームのルールであることを理解し、視点をその外にずらせば、ストレスは発生しない。
結果、ストレスケアに充てる時間をタスクの実行に使え、よりよいタスク管理が実行できる!!
やったぜ!父ちゃん、明日はホームランだぁ!
そのためには哲学が不可欠。
>結果を残すにはどうすればよいのかを考え、必要な知識やスキルを得るなどの努力が必要です。
意識高い系批判自体が意識高いと思うよ。一億総意識高い系社会。
昔は「まったく、しょうがねぇな、コイツは!コイツはいつも口だけだからほっとけw」で済んでた感。余裕がない。
口だけ調子いい若人とか、寅さん映画とかに出てるイメージ。
意識高い系が増えたのもあるけど、意識高い系が鼻につく人が増えたんじゃないかな。結果が出せない「感」に悩まされる人が増え、彼らが「お前も結果出せてないのに自己肯定してんじゃねーよ!ズルだろ!?」と意識高い系にイラつく。
イド♂@タスク管理の脱構築 @idomars
結果が出てる人は意識高い系にイラつかない。結果が出て、精神的に余裕があるから。
意識高い系嫌悪は、意識高い系と同じく結果は出ていないが意識高い系と違い自己肯定感がない人のイラつき説。
この説、「あると思います」と感じる人はリツイート😄
イド♂@タスク管理の脱構築 @idomars
ちなみにこの文脈での「結果」という概念は資本主義社会の虚構であり、意識高い系も意識高い系批判系意識高い系も、この虚構を認知すれば、悩みは霧散する。
論定は差異である「自己肯定感」ではない。自己肯定感自体も虚構であるから、そこに向かっていくと危うい。
▼話の中で出てきた本(Amazonへのリンク)
自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 (講談社選書メチエ)
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